「探究」って何? よく分からないのが出てきました。
英数学館中・高の副校長の土屋です。
昨年までは東京の私立中高一貫校で副校長および教頭(セカンド)を15年間務めてきましたが、縁あって、この4月から英数学館の副校長として赴任して参りました。
セカンド一筋?16年目、学校教育における「好き」は探究と留学、「得意技」は学内外のコラボ教育。目指すは学校と社会のシームレス化です!
探究なんて言葉は実はどーでもよくて、子どもがキラキラ輝くための、さりげない環境・仕掛けづくり(教員による『健全な悪だくみ』と私は呼んでいます)が何より私たちの腕の見せ所。
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「●●探究」という授業が新しく7つできるらしい。
さて、高等学校学習指導要領の改訂により、2022年度から「探究」の名前の付く科目が7つ新設されます。
7科目は、「古典探究」「地理探究」「日本史探究」「世界史探究」「理数探究」「理数探究基礎」「総合的な探究の時間」・・・・って、特に中高生の方々は、何じゃそりゃ?と感じているのではないでしょうか
私自身も同じです。本当です。
なぜって、これまでの教育の世界にまったくなかったものが急に現れたかのような印象を受けるからです。
だって、これまで慣れ親しんだ教科名の後ろに「探究」って付けるだけで、魔法のように「あら不思議」ってピカピカでワクワクな授業ができるのだったら教師も生徒も苦労はないですものね。
ただ、ここまで徹底して「○○探究」という科目名を決めたことには、強い思いか、あるいは執念のようなものさえ感じます。
一体、国はなぜここまで「探究」に一生懸命なのでしょうか。
国が「探究」の目標を定めていますが、どこかで見たような・・・。
第1 目 標
探究の見方・考え方を働かせ,横断的・総合的な学習を行うことを通して,自己の在り方生き方を考えながら,よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 探究の過程において,課題の発見と解決に必要な知識及び技能を身に付け,課題に関わる概念を形成し,探究の意義や価値を理解するようにする。
(2) 実社会や実生活と自己との関わりから問いを見いだし,自分で課題を立て,情報を集め,整理・分析して,まとめ・表現することができるようにする。
(3) 探究に主体的・協働的に取り組むとともに,互いのよさを生かしながら,新たな価値を創造し,よりよい社会を実現しようとする態度を養う。
(高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説 総合的な探究の時間編より抜粋)
でも、これって、中学校で何となく「謎」教科と言われる?「総合的な学習の時間(いわゆる『総学』)」みたいなイメージですよね。
でも総学の時間って、年間を通じて共通のテーマはなく、何となく文化祭や修学旅行などの行事の準備などにあてられている印象ではないでしょうか。
新しい「探究」の時間も同じように使われるだけなのでは?という疑問の声が早くも聞こえてきています。
一体「探究」になって、これまでと何が変わるのでしょうか。
すでに全国の学校が「探究」を始めています。しかし、これって新しい取り組みですか?
全国の学校が、2022年度からの本格導入に先んじて、「探究」学習に挑戦しています。
今年度はコロナ禍の影響で活発な活動はなかなかできていないようですが、これまでは学校周辺地域の課題を解決するために、地元企業や行政の方々に学校で講演をしてもらうようなものから、海外の学校とともに地球温暖化の問題など、世界各国に共通する課題の解決に向けた具体的なアクションを起こしているものまで、実にさまざまです。
しかし、このような活動、正直、私が小中高に通っていたときから、ちょくちょくやっていたように思います。社会で活躍している大人の方々による学校での講演、確かに何度もありました。
アフリカの貧しい方々のお役に立とう!と、古着を集めるといったプロジェクトに中学校のときに参加していた記憶もあります。これって今、国が声高に叫んでいる「探究」に当たる活動と何が違うのでしょうか。
日本の教育現場は、何事も「腹落ち」しないままに実施してしまうことが多い。
日本の教育現場が反省しなければならないことは、一つ一つの学習カリキュラムを実施する前に、その実施する理由を、教員をはじめとした関係するすべての人(生徒・保護者・地域社会の方々など)が「腹落ち(納得・理解)」しないままに「言われたから」とか「以前から決められているから(慣例で)」やっていることです。
たとえば、以下のような質問に、皆さんならどのように答えますか
かつて、私が生徒や、時には教員から実際に相談を受けたものの一部です。
修学旅行ってなぜやるの?観光旅行との違いって何ですか?
体育祭って炎天下であんなに練習してまで、なぜやるのですか?
制服・頭髪検査って本当に必要なの?
プログラミング教育が必修になるみたいだけど、本当に必要ですか?
AI翻訳とか技術革新がすごく進んでいるけど、英語ってこれからも必要ですか?
皆さんはこれらの質問に即答できますか?
教員でも即答できる人は少ないです。
なぜなら、すべての問いの答えが「0」か「100」ではないからです。
プラスの部分もあれば、マイナスの部分もある。また、教員といえども、時代の移り変わりが速すぎて、確実な未来を予測することは不可能なので、何が正解なのか、分からない。
しかし、最も恐れるべきことは、「どうせ正しい答えなどない」と、考えることをあきらめてしまうことだと思います。思考停止した時点で、物事は一切何も進みませんし、変わりません。ずっと現状維持です。
「探究」についても、本当に行う必要があるのでしょうか。
「正解(唯一解)というものがない問い」に向き合い続けることが探究の起点(はじまり)
今世の中は、インターネットの発達やLINEやtwitterなどのソーシャルメディアの出現およびスマートフォンの普及により、人が接する情報量が2005年から2014年の10年間で約530倍にも増えたとの統計があります(今、2020年ですから、さらに増えています)。
あまりにも大量かつ多様な情報や意見の洪水に飲み込まれ、私たちは何が正しいことなのかを見定めることが困難になってきています。
しかも世界は新型コロナウィルスの脅威をはじめ、地球温暖化に原因があるとされる異常気象、米中の2大国による政治的覇権争い、拡大の一途をたどる格差の問題、地球上の人口の爆発的増加による食糧、水不足など、解決困難なことに溢れています。
正に先の読めない、これまでの常識の通用しない、不確実な時代を子どもたちは生きていくことになります。
それでも、子どもの親や学校教員を含む、あらゆる大人の「子どもたちに幸福な人生を送って欲しい」という気持ちだけは、いつの時代も変わることはありません。
そのためには、ただ一つの正解がない事柄に対しても恐れず、常に物事に真正面から向き合い、あきらめずに考え続けられる大人になれるよう、社会に出るまえにしっかり準備してもらう必要があります。
私は、そのための切り札こそが、「探究」だと思っています。
次回は、私自身が考える「探究」について、より具体的にお伝えしてまいります。